スウェーデンの移民とその政策について、その2

社会と文化

スウェーデンと移民

現時点で、日本で「移民」という言葉を使う場合、「ハワイや南米に移住した移民」あるいは「東南アジアからの移民」というように、「国外に移住する人」と「国内に移住する人」をまとめて「移民」と言うのが一般的であると思います。

一方でスウェーデンでは、「国内へ移住する人=invandare」と「国外へ移住する人=utvandrare」というように分けていますし、また英語でも「国内に移住する人=immigrant」また「国外に移住する人=emigrant」というように、別々に扱っています。

そしてスウェーデンにとっては、国内および国外への移民というものはそれぞれが歴史的に重要な出来事であり、また国の構造にまで関わる影響を及ぼしてきました。

ヨーロッパでは古くから民族移動など人々が行き交う歴史を辿ってきましたが、スウェーデンにおいて、移民の歴史は中世にまで遡って考えられます。
そして、過去 150 年にわたる中で特に第二次世界大戦以降、スウェーデンは下の図が示すように、国外に移住するよりも国内に移住する方が圧倒的に多い「移民の受け入れ国」となりました。


(過去約150年間の、スウェーデンからの移住とスウェーデンへの移民の比較図)

 

16世紀から17世紀にかけての選択的移民

スウェーデンには古くからいろいろな人が散発的に出入りしていましたが、移民として一定の人たちが到来したのは1500年代、つまり16世紀の時代でした。

多くの場合、特定の分野でのスキルを理由にスウェーデンに招聘されたり雇用されたりする人々で、特に中世期が終わり近代に入ると、スウェーデンの政治、経済、産業、貿易にとって重要な役割を果たしたドイツの商人や職人が移住しました。
17世紀には、多くのオランダ人、ヴァロン人、スコットランド人、またスウェーデンの森林地帯に新しい農法を導入したスウェーデン系フィンランド人などが移住してきました。

しかし当時のスウェーデンでは、どのような人が移民として許可されるかを非常に厳密に選択して、資産家や産業の専門家あるいは期待される能力や資質、また技能などを持った人々だけが移民として許可されました。
また、当時はプロテスタント以外の宗教を持つ人々、特にカトリック教徒とユダヤ教徒も歓迎されませんでした。
特にユダヤ教徒は、1782年までスウェーデンに定住することが許されませんでした。

このような、「選択的移民」を含めた近代以降にかけての移民の例としては、

  • 16世紀のハンザ同盟国(北欧の商業圏を支配した北ドイツの都市同盟)
  • 16世紀にはすでに到着し始めたロマ人(後にフィンランドに移住させられたジプシー)
  • 17 世紀末、製鉄を教えるために集まったヴァロン人(フランス語系ベルギー人)
  • 17世紀に当時のスウェーデンの東半分から移住してきたスウェーデン系フィンランド人
  • 18世紀にスウェーデンの4つの都市への定住を許可されたユダヤ人
  • 18世紀のフランスの芸術家、哲学者、知識人
  • 19世紀に石造りの都市が建設されたときに漆喰を作ることができたイタリア人
  • とりわけビール醸造所を始めたスコットランド人。

などが挙げられます。

アメリカへの移住

このようにスウェーデンには常に一定の移民が存在していましたが、1850年から1930 年にかけて、約120 万人のスウェーデン人が貧困などの理由により、アメリカをはじめカナダやオーストラリアなどに移住しました。

この頃のスウェーデンは大規模な移民の国となって、スウェーデンが貧しかった頃の記憶として歴史に深い痕跡を残しています。

同時期のスウェーデンへの移民は、ほぼ独占的にその後帰国したスウェーデン系アメリカ人が多く、スウェーデンの多くの家族は、今でも米国、カナダ、南米、オーストラリアなどで家族のつながりを持っています。
また第1次世界大戦最中の1917年から1918年にかけて、スウェーデンに入国する際にはパスポートとビザの要件が導入されました。

戦争の難民と50-60年代の労働力

第二次世界大戦中、ドイツ、北欧の近隣諸国やバルト諸国からの戦争難民が、それまで北米を中心とする移民出国であったスウェーデンを、移民受け入れ国に変えました。
これらの多くの難民のうち、戦後に母国に戻る者もいましたが、バルト諸国のほとんどを含む多くの人々がスウェーデンにとどまりました。

そして戦後から1960年代にかけて、特に他のスカンジナビア諸国や、イタリア、ギリシャ、ユーゴスラビア、トルコなどからの労働力としての移民が主流となりました。
移民の受け入れは労働市場の機関によって組織的に行われたものもありましたが、大抵の場合、人々は自分自身で仕事を求めてスウェーデンにやってきました。

1969年7月1日に新しい国の機関「移民局=Statens invandrarverk」が設立され、移民とスウェーデン社会への統合に向けた両面的な取り組みが行われるようになりました。
そしてこの頃から、ノーマライゼーションや社会的統合=インテグレーションというものが社会理念として語られ、また実践されるようになってきたわけです。

1970年代移民が規制される時代

1960年代の終わりには、スウェーデンで働くために移住する場合、仕事の提供と住居が確保されている必要性と労働市場を保護するために、移民に対しての規制が導入されました。
当時の移民局と労働市場関係者は労働市場評価を行い、スウェーデンが外国人労働力を必要とする場合、また移民申請者が必要条件を満たしている場合にのみ、滞在許可や労働許可が得られるようになりました。

ただし、次のグループには労働市場評価が行われませんでした:

  • 北欧の住民は1951年以来、許可なしで北欧諸国内どこでも居住と労働の権利がある。
  • 難民
  • スウェーデンで家族と再会したい家族のメンバー

また、新しい移民政策により、1970年代に次のような状況が生じました:

  • 特にフィンランドからの移民は一時的に増加し、フィンランドが好景気に入った後に急激に減少した。
  • 移民の家族メンバーによる移民が増加した。
  • 世界各地での政治的危機や紛争に関連して、難民が断続的にやってきた。(例えば、1973年のチリの軍事クーデターなど)

そしてこの時期に、スウェーデンの市民権(永久滞在・労働許可)を得るために必要な居住期間は7年から5年に短縮され、北欧の市民に対しては2年に短縮されました。
これらは、現在も同じ要件が適用されています。

1980年代難民の十年

1980年代の中頃には、イラン、イラク、レバノン、シリア、トルコ、エリトリアなどからの難民の数が西ヨーロッパ全体で増加し始めました。

そして1985年には難民の受け入れに対する新しいシステムが導入され、これまで労働市場当局(AMS)が担っていた責任が移民局に移されました。

1980年代の終わりには、アフガニスタン、ソマリアやコソボ、またいくつかの東欧諸国からの難民の数が急増しました。

そのため難民の申請に対する判断にかかる時間が長くなり、宿泊施設が増加し、難民申請が却下されるケースも増えました。
その理由としては、実際には紛争や迫害から逃れるのではなく、自国での貧困や未来への希望がないため、西ヨーロッパでの豊かな生活を夢見て難民としてやってくるケースが多かったからです。

1990年代バルカン半島の民族浄化

1990年代は、世界的な状況の中で、ヨーロッパにおいてはポジティブな体験とネガティブな側面の体験が混在していました。

ポジティブな体験という意味では、冷戦の終結に伴って、特に旧社会主義国家体制においての民主化の動きや経済成長などの発展がありました。
また、いくつかの長期にわたる戦争状態が終結し、例えばレバノン、エリトリア、イラン、イラクなどでの状況が好転し、難民の数も減少し始めました。

一方で、旧ユーゴスラビアの崩壊や国家の分裂があり、戦争、テロ、民族浄化などのネガティブな側面もありました。
そのため、第二次世界大戦以来で初めて、ヨーロッパの中で多くの人々が大量に避難する状況が生まれ、スウェーデンは約10万人の旧ユーゴスラビア出身の人々、特にボスニア人が新しく難民として受け入れることになりました。

20世紀が終わろうとしていた時期には、スウェーデンはUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の指導のもとで、約3,600人のコソボアルバニア人をマケドニアからスウェーデンに避難させる共同の活動に参加しました。
その意図としては、彼らに一時的な保護を提供し、自国が安全な場所になって再建が開始されることを待つというものでした。

1995年にスウェーデンはEUに加盟

1995年にはスウェーデンがEU(欧州連合)に加盟し、1999年に欧州理事会は、最終的にEUが共通の難民・移民政策を構築することを目指すという目標を設定しました。

1997年、家族連れの移民に対してより制限的な規定が導入

1997年に、それまでは20歳までという移民家族の再結集の年齢制限が、18歳未満に引き下げられました。
一方で、特に遺族、また未亡人や未亡人だけがスウェーデンに残っている人の成年兄弟姉妹に対する移民の許可が取り消されました。

また、家族連れの最後の一員として残っている人々に対する規制も撤廃されました。
これは、他の兄弟姉妹と両親がスウェーデンに移住した後に、母国に残された成年兄弟姉妹に対して適用されるものでした。

身分証明書の不足が深刻な問題に

1992年には、主に旧ユーゴスラビアからの人々を含む84,000人が、スウェーデンに対して難民申請をしました。
その後、1995年から1999年にかけて旧ユーゴスラビアでの紛争が終結したため難民の数はかなり低くなりましたが、2000年には難民の数が再び増加し、それ以降も難民受け入れは高いままであり、2005年と2006年になってようやく一時的な減少が見られるようになりました。

当局による難民申請数に関する統計によると、難民の数は年々大きく変動してきましたが、これらの難民の中には、身元証明書や旅行書類を持っていない人々が増えていくという傾向があり、これが難民申請の審査を複雑かつ時間を要する大きな問題の要因となりました。

移民局による永住権を持つ許可が与えられなかった件数が増えると、結果として強制送還の決定を実行する際にも問題が生じました。
移民局の受け入れシステムでは、母国に強制的に送還できない場合が増加したからです。

21世紀入りEU協力が始まる

2000年代初頭に、スウェーデンは他の欧州諸国と共同でシェンゲン協定に加わりました。
これにより、当時の13か国間の国境が加盟国の市民に開放され、加盟した国々はシェンゲン地域全体に対してビザを発行しました。
つまり、EU市民がスウェーデンに短期または長期滞在するために訪れる数が増えました。

また、2001年には市民権法が改正され、二重市民権を持つことが可能になりました。
これにより、スウェーデンの市民権を取得した後も元の国の市民権を保持することができるようになりました。

2000年代初期のスウェーデンの対応

2005年の終わりに、国会は、今まで難民申請を拒否され、その後スウェーデンを一度も出国したことがないた人々が、移民局によって再審査を受けるという法律を暫定的に導入しました。
この暫定的な法律に基づいて、以前に退去命令を受けた30,000人以上が審査されました。
また、そのうち約8,000人は国内に違法滞在して潜伏していた人々でした。

2006年3月には、ここ数十年で最大の法改正のひとつが実施され、当局の決定に対する控訴を審理する機関である移民委員会が廃止され、3つの移民裁判所と1つの移民上訴裁判所が設置されました。 (2013年に4番目の入国管理裁判所が開設されました。)

2006 年 7 月 1 日、法律が改正され、以前は移民局にあった「庇護を求める、保護者のいない子供の宿泊施設」の責任は、市町村などの地方自治体が負うことになりました。
その結果、庇護を求める保護者のいない子どもの数は年間約400人から数千人に増加し、地方自治体にとっては大きな負担がかかることになりました。

2010年代

2010年8月、難民申請者は身分を証明できるなどの一定の条件の下で、申請の処理期間中に働く権利があることが保障されました。
2011年には、欧州連合(EU)外からの学生に対して大学での授業料が導入されました。
これにより、約13,000人のゲスト学生の数が約6,000人に半減しました。

2013年7月1日、スウェーデンに合法的な滞在許可を持たない人々に対しても、難民申請者と同じく緊急医療を含む医療サービスを受ける権利が与えられました。
また、無許可で国に滞在する子供たちも、歯科治療を含む完全な医療サービスを受ける権利を持つようになりました。
2013年9月移民庁は、すべてのシリア人および内戦で荒廃したシリア出身の無国籍者に対して、永住許可が与えられました。

2015難民危機

2015年11月12日には、一時的な国境検査が導入されました。
目的は、難民申請者の数を減らすことでした。
2015年の終わりには162,877人がスウェーデンで難民申請を行い、そのうちの多く(51,338人)が戦争の被害を受けたシリア出身の人々でした。

2015年11月24日には、政府が「スウェーデンの難民受け入れに余裕を持たせる」という目的で一連の措置を提案しました。
その一環として、3年間はEUの最低基準に合わせて難民の申請と許可される難民の数を劇的に減らすために、2016年からスウェーデンはEUで最も寛大な難民法から最低基準の難民法へと移行しました。

2016年1月4日、一時的な身分証明書の検査が導入され、スウェーデンへの難民申請者の数を減らす試みが行われました。バスや列車がスウェーデンの国境を越える際に検査が行われ、違法行為を行う輸送業者には罰金が科されました。

2016年3月1日、新たに到着した移民に対する共同受け入れの責任についての新たな法案が法制化され、全ての市町村が難民受け入れプログラムに参加するよう強制されました。

2016年6月1日に難民申請者受け入れに関する法律が改正され、難民申請者が彼らの申請が拒否された場合、彼らが自発的にスウェーデンを去らない限り援助は終了することと、また、拒否された難民申請者が移民局によって永住許可あるいは退去命令を受けた場合、彼らは移民局が支払う収容所での生活補助と宿泊施設の権利を失うこととなりました。
ただ、18歳未満の子供を持つ家族は、スウェーデンを去るまで支援を受ける権利を維持します。

2016年7月20日、新しい暫定法が導入され、2019年7月20日まで適用されました。
以前の法律では、全ての保護を必要とする人々に、通常は永住許可が与えられていました。
しかし、この暫定法では全ての難民申請者が一時的な居住許可というように変更され、また難民には3年間の滞在許可と、代替的な保護を必要とする人々には13ヶ月の許可というように変更されました。
ただし、一時的な滞在許可が終了した時点で保護の必要性が依然としてある場合は滞在許可を延長することができましたし、また、選択割り当てされた難民には引き続き永住許可が与えられました。

家族の再統合の機会については、難民の地位を持つ人にのみ家族再統合の機会が与えられるというように、以前よりも制限されるようになりました。
また、難民は本人と家族の生計を立てることができる必要があるとされ、家族に十分なサイズと水準の住居があることも求められました。

2019年7月20日には、この暫定法が2021年7月19日まで延長され、また代替的な保護を必要とする立場にある人でも家族再会の権利を有するように規定が変更されました。
ただし、これまで家族再会の権利は原則として難民認定を受けた人々にのみ適用されてきましたが、今回の変更での前提条件は、その人が永住許可を取得する十分な根拠のある見込みがあるとみなされる場合に限定されました。

新しい高等学校

新しい高等教育法により、2018年7月1日から2018年9月30日までの間、難民申請者が保留中に学校教育を受けるための居住許可を申請できるようになりました。

ただ条件としては、難民申請が2015年11月24日以前に提出され、15ヶ月以上経過して待機していることが求められました。
また、高等教育を受けるために居住許可を受けた者は、最初は13ヶ月間の許可が与えられ、条件を満たせば延長することができました。

2022年の難民の状況

スウェーデンでは、2022年に16,738人が亡命申請をしており、これは11,412人の申請があった2021年から増加しています。
しかし、年間平均約26,000人の亡命希望者を受け入れていた2000年から2011 年の平均を大きく下回っています。

2011年以降、シリア内戦の激化と近隣シリア諸国の難民キャンプの状況悪化に伴い、スウェーデンへの亡命希望者の数が増加しました。
この増加は2015年にピークに達し、合計16万2,877人が亡命申請をし、そのうち7万人が子どもで、またこれらの子どもたちの半数は同伴者なしでした。

亡命希望者の数は、2016年から2022年までの間、特に国内外の国境管理や居住許可取得に関する法律、またEUとトルコとの協定、そして2020年のパンデミックの影響を受けて減少しました。

2022年2月にはウクライナでの戦争が始まり、戦況の激化に伴い、EUは初めて大量移民指令を発動して、これにより2022年のスウェーデンへの難民申請者数は合計50,365人になりました。

2022年度の移民状況と将来の展望

2022年にはスウェーデンへの移住者が約10万2000人で、2020年と2021年に比べて増加してはいますが、それ以前の数年に比べると減少しています。
移民は今後数年間でわずかに減少すると想定されていますが、長期的には年間約10万人が移住すると見込まれており、これは2000年代全体の平均とほぼ同じ水準です。

しかし、移住に関する将来の展望は、短期的にも長期的にも非常に不確実です。

歴史的にそうであったように、移民の状況も移住者の数も、外部の紛争や政治的状況だけでなく他の要因にも影響を受けて将来的に変化する可能性が非常に高いので、これらのピークがいつどこで発生するかを予測することは不可能です。

現在においては、これまでの水準は移住者数の変動の平均値として解釈されるべきであり、外部および内部要因の影響を考慮しながら、今後の移住政策を検討する重要性が示唆されています。

なお、この記事の冒頭で述べた『スウェーデンでは、「国内へ移住する人=invandare」と「国外へ移住する人=utvandrare」というように分けている』ということについてですが…

1970年から2022年までの「国内へ移住する移民」と「国外へ移住する移民」についてのグラフをご紹介します。

太い線は「国内に移住した移民」で、点線は「国外に移住した移民」を表しています。
実際の数値は2022年までの統計によるもので、これ以降は想定される数字です。
ご参考にしてください。

出典:

Migrationsverket(移民局)https://www.migrationsverket.se/
Statistikmyndigheten(統計局)https://www.scb.se/
Migrationsinfo(スウェーデンの移民と社会統合に関する研究と統計団体)
https://www.migrationsinfo.se/

(その3に続く…)
(その1に戻る…)

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